こんにちは。
行政書士の井口 亘(いぐち わたる)と申します。北海道苫小牧市で生まれ、大学への編入学を機に、新潟、東京、茨城、神奈川と移り住み、現在は藤沢市に住んでいます。自己紹介がてら、私の経歴と『なぜ行政書士になったか』を書き記します。どうぞお付き合いください。
【学生時代】
両親からの「手に職をつけておいた方が良い」というアドバイスで、私は苫小牧工業高等専門学校(高専)に進学しました。高校に進学するなら国立だしという当時の私の安易な考えからで、結果的に勉強についていけず留年し6年間在籍することになりました。この留年は後悔しましたが、その後の人生の転機の一つになったと思っています。
留年をきっかけに、大学進学を考えはじめました。高専卒業後に大学へ編入するルートがあるということから、私は新潟大学に編入学しました。当初はそのまま大学院まで進学するつもりでしたが、4年次になる少し前に、確率論に興味を持ち始めました。そこで、大学院で専門的な勉強をしたいと思い、電気通信大学大学院への移籍を決意しました。
電気通信大学大学院に入学前に訪問した際、恩師である田中健次教授と出会い、「入学したら研究室に入れてあげるよ」という誘いを受けます。結果的に私は電気通信大学大学院を最終学歴とすることになり、教授とはそれから長いお付き合いになり、今でも感謝しています。修士課程では基本的な研究のスキルを身につけましたが、徹夜でゼミの準備をしたあとのフォローや、自分の都合での夕方からの個別ゼミなど、相当なご迷惑をかけたことを反省しています。
修士課程の2年目になり、就職か博士課程進学かを一瞬だけ悩みました。教授からは博士号取得は3年では難しいというアドバイスがありました。おそらく、私が研究者向きではないというメッセージだったのでしょう。私はその言葉を受け入れ、いくつかの会社への就職活動を経て、総合電機メーカーへの就職を決めました。
【IT系学科出身者発、重電技術者経由コストカッターへの道】
茨城での社会人生活は、寮生活からスタートしました。初めての寮生活で、2人部屋という状況に戸惑いましたが、同じ部屋の同期には恵まれました。会社員としての基礎を学びながら、工場実習での経験が特に印象深かったです。指導員から受けたアドバイス、「変なプライドは捨てろ」という言葉は今でも忘れられません。
当時の勤務先では、大学卒以上の本社採用と高卒の工場採用の2つのルートがありました。私は前者のルートでしたが、両者の間には見えない壁がありました。年功序列や学歴主義の考え方がまだ根強かった時代でした。工場採用の先輩たちは、本社採用の新卒を少し「うざい存在」と感じているようでした。指導員からのメッセージは、「学歴にこだわるよりも仕事をしっかりやる方が重要で、迷惑になるだけだ」というものでした。私自身に強いプライドがあったかはわかりませんが、そのアドバイスは有益で、今でも大切にしています。わからないことは自分で調べてから聞くようにしています。
私は公共事業向けの監視制御システムの設計職を選びました。高専から大学院まで情報工学を学び、社会人としては重電技術者としての道を選んだので、まったく異なる分野でした。当時の公共事業は成長しており、安定と将来性を見込んでの選択で、そこで3年間を過ごしました。未経験のことばかりでしたが、3年目にはほぼ独り立ちして顧客対応の経験も積みました。工場で制御盤を作る職人の方々からも日々学びました(設計ミスで叱られることもありましたが…)。
技術者として充実した日々を過ごしていましたが、常にデスクに座ってCADや図面を眺める日々よりも、人とのコミュニケーションを通じて会社に貢献したいと思うようになりました。また、モノやサービスの調達によって会社に貢献できると考えました。その思いから、社内転職で資材部門に異動しました。勤務地は都内で、住まいは神奈川。この異動が私にとってコストカッターというキャリアの転機となりました。
異動先の部門は情報サービス部門で、設計職時代の知識はほぼ役立ちませんでした。10年間の学びの中で情報工学を勉強してきたつもりでいたのに、最新のIT用語すら分からなかったのです。最初は落ち込みました。しかし、プライドがなかった私は、社内のITエンジニアに質問し、知識を吸収するために勉強会と称した飲み会にも参加していました。正直、相手の空気を読んでいなかったかもしれませんし、かなりアナログなやり方でしたが、仕事がスムーズに進む手応えを感じました。
挫折以上に厳しかったのは、EXCELでのデータ分析ができなかったことでした。重電技術者時代はCADや紙の図面で設計することが多かったので、EXCELは使っていましたが、データ分析にはあまり使っていませんでした。先輩たちが簡単にデータ分析をこなしているのをみて、本屋で立ち読みしたり、気になる本を買ったりして帰宅後に実践しました。苦労して身につけた分析手法は、今でも役立っています。
仕事は常にうまくいくわけではありませんでした。資材部門に相談に来るエンジニアたちは、問題を抱えていることが多かったです。外注費の支払いを忘れていたり、隠していたり、外注先の資金繰りが怪しかったり、外注先の人がいなくなったりと、あらゆるトラブルがありました。当時の上司からは「井口はトラブルを引き寄せるな!」と冗談交じりに嫌味を言われることもありました。もちろん、トラブルシューティングの方法なんて書籍やマニュアルには載っていません。実践あるのみでしたが、良い経験を積むことができました。また、上司たちも尊敬できる方々でした。交渉の進め方やトラブル時の対応などは手取り足取り教えてもらうわけではありませんでしたが、一つでも多く学ぼうと前のめりに過ごしていました。
【さすらいのコストカッターとして】
10年間の経験を積んだ1社目の会社を退職し、2社目のインターネット企業に誘われました。当時は終身雇用が一般的で、転職は失敗と思われる傾向がありました。しかし、新しい環境には刺激があり、スーツからカジュアルな服装でのワークスタイルに変わることが楽しかったです。2社目は社内のシステムがまだまだ整っておらず、支払処理までの業務を担当しました。その経験を通じて簿記3級の資格も取得しましたが、支払処理には経理の仕分け作業も必要で、事務処理に苦労もありました。2年後にはコンサルタント主導の業務改革プロジェクトに参加し、中小企業診断士試験にも挑戦しましたが、合格はできませんでしたが、学びが多いトライでした。
2社目に3年ほど在籍したころ、3社目となる外資系のコンサルティング会社に誘われ、大企業向けの購買サービスの代行マネージャー兼コンサルタントとして入社しました。しかし、新しい環境があまり向かず、苦手な英語やサービス提供者としての知識不足が露呈しました。一度は辞めようかとも思いましたが、上司や先輩のサポートを受けながら、過去の知識と新しい手法を組み合わせ、最大限の努力をしました。
当時の上司や先輩は尊敬できる存在であり、大企業の顧客とも信頼関係を築きながら仕事を進める姿勢に感銘を受けました。自分はニッチな分野に挑戦し、結果を出すことに集中し、良い結果が出た瞬間は職人が仕事を終えるような快感・達成感がありました。ただ、自称「さすらいのコストカッター」としてはそろそろ役割を終えると感じた時期でもありました。
【さすらいのコストカッターからのバージョンアップ】
3社目で働きながら、次のステップを考え始めました。新たな武器を身につけたくなったのです。これまでの経験や興味を振り返り、中小企業に対して大企業の経営企画部門が享受しているコンサルティングサービスを提供する方法や、事務処理を苦にしない工夫を考えました。また、理系の出身であるからか、法律やサムライ業への憧れもありました。最後の理由は少々不純でしたが、調査を重ねた結果、行政書士の道に挑戦することにしました。
法律初心者としてスタートし、多くの試練がありました。何度も資格学校を変えるなどしました。5年かかりましたが、ギリギリの得点で試験に合格しました。結局は、ありきたりですが、覚えることは覚える、練習はしっかりやることに尽きました。合格したとき、最後まで応援してくれたこと妻に本当に感謝しました。今度は、取得した資格を活かして仕事をすることを考えました。ただ、自分はもう40代後半でしたので、行政書士法人や他の求人もほとんどありませんでした。そこで、自分で開業するしかないと思い、藤沢市に行政書士井口法務事務所を開業したのです。
【さすらいのコストカッター×行政書士の二刀流サービス実現へ】
私はさまざまな経験を経て、さすらいのコストカッターと行政書士の2つの武器をうまく組み合わせ、クライアントが私に頼んで良かったと思えるような仕事を提供しています。
途中で迷ったり、誤った判断をしたりすることもありましたが、私は3社目で働いていた頃から、「迷ったらワイルドに、困難な方に向かっていこう」と考えるようになりました。この考えは会社員時代の経営者からのメッセージでした。当時はあまり感銘を受けませんでしたが、会社員から独立し開業を考えるようになった時、後悔のない道を選ぶことが大切だと感じました。そのため、行政書士事務所での修業を経ずに直接独立を決意したのです。自分でも思い切った決断だったと感じますが、将来振り返った時、その選択は正しかったと確信しています。
また、学生時代の恩師や会社員時代の同僚、上司など、出会いに恵まれた方々にも感謝しています。今はお客様や関係する行政機関の担当者、お客様の仕入先や外注先など、多くの人々との縁を大切にしながらサービスを提供しています。
現在、日々研鑽を積みながら行政書士として活動しています。皆様の事業のお手伝いができて、私は幸せです。興味をお持ちの方は、お気軽にご連絡ください。お待ちしております。